11月13日 ホラ吹き
大声だと嘘っぽくならない、と気がついたのは高校生になってからだ。
恋愛の細かな機微や、友人同士の小さな軋轢なんか、ちゃんと見えたことはない。
原因は、人間関係を雑にすませたがるものぐさな(良く言えばおおらかな)気性に加え、小学生からごく平和に一切波風なく、穏やかに付き合っていた彼氏がいたことでそういったドロドロの安全圏に居続けたせいかもしれない。
いくら小学生といえど、付き合い始めて一年間文通のみでほとんど喋らなかったといえば、周囲が私たちカップルに抱いていた不可侵な空気もお察しいただけるのではないだろうか。
とにかく私はそういった色事に対して、あるいは流れていく人間関係がほとんど分からなかった。例えばそれは、「彼女と彼女は仲がいいと知る。そして少なくとも数年のうちは、それは変わることのない普遍的関係性として保たれる」という思い込みによって、情報不足を気にもとめていなかった怠慢による。
誰と誰が分かれて喧嘩して和解してすれ違って付き合って気になって気に入らなくて、いっそ違う言語かと思った。少女漫画と現実は別なのである。
私の自己防衛かつ仲間外れを免れるための手段は、とにかくシンプルであることだ。
厄介な揉め事を全く関知せず、関与しないポジション。
あらゆることが押し流された後で、こういういこともあったのだと気持ちの整理がてらぽろっと打ち明けられる程度の立ち位置。
つまり下手に噂話を楽しむよりは、大体的に言い振る舞う一種の装置である方がよほどストレートに明るく振る舞えた。
ついでに私と話題の人たちとは、変なギクシャクが生まれない。一石二鳥である。
結果、卒業時には自称他称「人間拡声器」だった。
物理的に大変声が通りやすく、授業中の私語なんかがもろに聞こえるというのもある。
リアクションが大きいことも、小声が下手くそなのも、身振り手振りで会話してしまうことも、浅く広く付き合いがあることも。
私は生まれつき隠し事に向いていない。
それで、私はとうとうそのような振る舞いというものを身につけるに至った。
完全とは言い難いが、それなりに見てくれの良い、話題性のない阿呆の顔である。
裏表がなさそうというだけで人当たりは良くなるし、あまり損はしないだろう。
ただ緊張しいなのと、年上が苦手なのも合間って、そこまで人間関係をうまく渡り歩けはしなかった。それでも友人はいるし、相談もできる。ごく一般的な範囲で。
この年代に至るまでに誰もが多少身につける処世術のうち、私はこのような方法をとったにすぎない。
失敗も、後悔も、謝罪も、好意も、感謝も、苦手も、不満も、とりあえず悪意なく、ストレートにいってみる。
ところで最近はそれも品切れになってきた。単純なだけでは不快になる人もいる。誰も平等だからこそ、越えられない壁がある。私はそれを耐えきれない寂しさゆえに、もう一歩踏み出さんと試みる。
誰か一人、どちらか一方に親身になるということではない。
タイミングを見計らって、恋愛の話題に触れることを一歩とした。
大声だけど、口を紡ぐことができるようになる為に。
できればこのまま嘘をつかない人間でいたい。
もはや処世術から指針になった。いつまでも大口で笑ってはいられないのだ。
バイト先で失敗したら隠したくて嘘をついてしまうこともある。
自己保身にかられる余り。
そうした後の嫌悪感の中でいつバレるかとぐるぐる考えながら、内心私のための言い訳を作る。いいわけだということを自覚しているのでまた辛くなる。
結局バレてしまうのだけど、このままバレないで欲しいと願ってきた嘘たち。
自己保身のための嘘たち。
私はもう彼らの姿も思い出せない。
つぐんだまま飲み干して、本当に消えてしまったのか。
誰かも私と一緒に仕方ないなと飲み込んでいてくれたのか。