こざこざるつぼ

こざこざしたものを、るつぼに入れてくよ

10月26・5日 真夜中のスープ

やけに喉が渇いたと思ったら、暖房がつけっぱなしだった。

裸足にはそれでちょうど良かったのだが、私の気管支はすぐに干からびてしまう。表面はこんなに水分を保っているのに。

私が湿度を感じているのは肌だから、その肌がいくら干からびたところで、基準にはならないのかもしれないけれど。

 

 

 

麦茶を飲む、という発想はなかった。切らさないようにしているがそれだけで、もうすでに秋なのだというささやかな抵抗感が麦茶の存在をすっぽり忘れさせた。

簡単に作れるコーンスープはこんなところで使うべきではない。

私は冷蔵庫の前でちょっと困ってしまった。

 

コーンスープの粉末は誕生日に送られてきたダンボールに入っていた。母と、父と、姉と、妹。誕生日レターとともにそれぞれからプレゼントをもらった。姉からは化粧品、妹は手袋と靴下、母と父からはムーミンのクッキー瓶。

 

そしてダンボール箱の半分を埋めるように非常用リュックが詰まっていた。その中も完璧だった。乾パン、ふえ、折りたたみコップ、生理用品。もう使わないから置いてきたはずのキャップまでくくりつけられていた。私はそれを中身を十分に見ないで机の下に置いた。

 

この狭い宿舎はベットからドアまでたったの1・5メートル。その間に洗面台と勉強机がギリギリ収まっている。もし何かあれば、私はすぐさま机の下に飛び込み、揺れが収まったらすぐにリュックを掴んで飛び出すだろう。

 

じっくり中を見るのは安全な場所に着いてからでいい。用意したのは母であろうことはすぐに分かったからだ。いつだって完璧に、完璧すぎるほどにお世話を焼き、時々構ってくれたりする母のこと。私が出る幕はない。

 

 

そんなぎゅうぎゅうに詰まった箱の隙間に、コーンスープが入っていた。地元でよく行ったスーパーのビニール袋だった。非常用袋と誕生日プレゼントに埋もれるようにして入っている。その3袋入りの小さな箱を、開けただけですぐに冷蔵庫にしまった。冷やす必要がないことはわかってたんだけど。

 

 

そういえば、なんて頭で考えたわけじゃないけど、ポンっと味噌汁のことを思い出した。これは友達の叔父さんが大学に来た時に、私の分まで買ってきてくれた味噌汁のパックだ。会ったこともない。

 

本当はご飯をご一緒するはずだったのに、私は用事で行けなくなってしまった。どんな用事かは忘れてしまったけど、とにかく残念だった。その行けなかったお寿司の代わりに、補給物資をくれたのだ。友達の叔父さんなんて行ってみればただの他人で、きっとこれから会うこともない。それでも補給物資軍には彼の存在がプレートみたいにちらついて、私はその度「ラッキー」と思うのだ。

 

 

 

最後の味噌汁パックだった。たぶん単価は100円しない。

 

電気ケトルの湧く音が変に耳障りで、びっくりする。だってぼこぼこと水音がするだけなのだ。それに気づかなければ、ケトルはいつの間にか静かに冷えていくだけ。

 

私は暖房を切って、実家から持ってきていた安い味噌汁碗に味噌と乾燥した具材を落とし、お湯を注いだ。なんだかおかしかった。

毎朝実家で味噌汁を作っていた母のことなんか、考えもしなかった。そんな辛気臭くて、ありきたりで、センチメンタルな感情より、コポコポ注ぐ音が6畳にやけに響くのが純粋におかしかった。子どもみたいに。

 

喉を通った味噌汁はちゃんとだしが効いていて美味しい。なんだか笑っちゃうくらいに全部がリアルだ。

カラカラの気道を抜けて胃に達し、ジワリと実感もなく消えたミソスープの温かさ!意外なほどに大きくなったワカメと油揚げのしっかりした食感!

 

そうだ、小さい頃、風船が膨らんだ時のワクワクと似ている。予想を超えて実存を持ち、世界に立ち現れてくるかたちと感触。それに触れ、触れた掌を超えて、全身の感度が上がった気がするのだから、やっぱりおかしい。

 

このくすぐったいような気持ちを持て余し、私は近くに転がっていた本を開いた。江國香織の「号泣する準備はできていた」。ブックオフで100円だった。どうでもいい値段ばかりが頭に残っている。私は一気に飲み干して、一話だけ読んだ。とってつけたような御誂え向きの本で、全てがピッタリなのがやたらおかしくてたまらなかった。

 

明日の朝はコーンスープを飲もう。パソコンからは適当なテクノポップが流れ続けている。隣の部屋までは、意外と響かない。