こざこざるつぼ

こざこざしたものを、るつぼに入れてくよ

みかん、寝袋、子ども

 祭囃子が曲がり角から漏れ聞こえてきた。踊り子たちがオレンジ色の懐中電灯を振り回しながら、ひらひらと現れる。やがて木枠をいくつも組み合わせて積み上げた、粗雑な神輿が男衆に担がれてぬっそりと出てきた。お蜜柑様のお通りである。
日がとっぷりと暮れ、提灯の明かりがともる。いずれも一般的な赤ちょうちんとは違い、若干丸みのあるオレンジ色のものだ。街路樹や屋台骨に連なって、広場をぐるりと囲んでいた。お蜜柑様ののった神輿はこの小さな街を練り歩き、ようやく提灯の切れ目、広場の入り口に戻ってきたのだった。

賑やかな音色が広場に満ちる。踊り子たちは皆中学生までの子ども達だ。踊りはてんでバラバラで、好きなように神輿の周りをぐるぐる回っている。ただ走っているだけの小さな子もいれば、なにがしかの法則に則ってゆらゆら揺れている子もいる。女の子はオレンジのロングスカートだ。左手に懐中電灯を、右手に透明感のある黄色の布を持ち、ひらひら風に遊ばせている。小学校低学年くらいの子は何が楽しいのか、きゃらきゃら笑いっぱなしだ。男の子達は一様に緑色のTシャツで、茶色の手ぬぐいを両手でピンと張り、ひねったり振り回したりと忙しない。

 

あかりは全身でデタラメにリズムを取るので、俺まで軽く揺すられる。繋いだ手がふらふらとおぼつかない。今にも駆け出しそうな雰囲気に、俺は少し手に力を込めた。まだ小さい。小さくて、すべすべだ。あかりの身長では踊り子達が振り回すライトがちょうど目に当たって痛いだろうに、それでも笑って御輿を追いかけようとする。

ほどほどに御しながら、引っ張られるのに合わせて俺もゆったり歩く。あかりは小走りだが、大股に歩くくらいでちょうどいい。あたりを鷹揚に見回す。自分もあかりも、人混みの流れに逆らわず、前へ前へと歩を進めた。

 

ここら辺はすっかり工業地帯になってしまった。あかりが生まれたのに合わせて帰ってきたけれど、俺が育った蜜柑畑は軒並み住宅街に様変わりしていた。お蜜柑様なんて適当な名前でも、昔の土地を表す言葉が他になかったのだから仕方ない。過疎地域か、田舎か、心のふるさとか、そういったものはすっかり近代化の波に飲まれて消えてしまった。俺たちがお蜜柑様と呼ぶのも、昔からあったなんでもないお祭りを町の観光事業部がキャラクター付けを行うことで活性化しようとしたものだ。お蜜柑祭に名前を改め5回目になるが、そのシンプルで可愛らしいネーミングと会場作りがいいのだと年々来場者は増えているらしい。
この町はあかりと同じ年頃の子供も多い。その子たちがこぞって踊り、町中を練り歩く。蜜柑畑のあった工場の横を、よく遊んでいた空き地が潰されたショッピングモールのそばを歩いていく。みかんが転がっていた俺の祖父母の庭は、国道が通るとかでなくなってしまった。その国道を通って俺たち家族は帰ってきた。

 

お蜜柑様の神輿が櫓のすぐ手前にやってくる。櫓にはみかんが鈴なりに飾ってある。いずれも生のみかんではない。第一回目は実際にとれたてのみかんを飾っていたが、予算を圧迫するということでプラスチックのみかんになった。毎年倉庫からお蜜柑祭のために引っ張り出して使う。
「祭のための蜜柑じゃあ、お蜜柑様も浮かばれんやろなあ」
お蜜柑祭実行委員会の仕事でたまたま一緒になった爺さんがいう。その割に軽い口調だった。来年は孫が生まれるらしい。だから孫を連れてお蜜柑祭に来るのだという。それまでになるべく楽しそうな雰囲気の祭にしておいて、爺さんすごいと褒められたいらしい。俺もあかりを連れて祭に来るたびに思うので、頷くにとどめた。

 

「お蜜柑様が御目通りなさいますので、皆々様、どうぞ、ぞうぞご注目くださいませ!ではではどうぞ、はい、それはもう、ええ、ええと、開きます拍子に併せまして、どうぞ、拍手でお出迎えくださいませ」
踊り子らはすでに後方へはけており、見上げた神輿には町長がマイクを握って立っていた。町長の禿げた頭もオレンジの照明で光っている。あかりが耳打ちして教えてくれた。
「お蜜柑様が宿っているんだよ」
俺は直視できなくなる。あかりは「禿げてても笑っちゃダメなんだよ」と怒る。
神輿の中心に据えられるのは、みかんの葉で埋めるように飾り付けされた寝袋だ。言うまでもなく葉はプラスチックである。しかし櫓に積まれ、オレンジに照らされて、人々が取り憑かれたように見上げるそれは神様の詰まった寝袋になる。

あかりもゆらゆらと揺れながら今か今かと待っている。
「ええ、では、はい、それでは、お蜜柑様のおなーりー」
町長が神輿に積んである大きな寝袋のチャックを勢い良く下げた。
「来た!」
あかりが両手を振り上げて、頭上でパチパチ叩く。周りの子どもは皆そうだ。
寝袋には溢れるほど蜜柑が詰まっている。なんとなく人型に敷き詰められた蜜柑だ。腕や足の隙間には葉で区切りがついている。それらはプラスチックで中に電飾が入っており、うっすら黄色に光る。頭の部分はひときわ大きい。おそらく俺が腕を回してちょうどくらいではないだろうか。重たげな頭をゆらゆら揺らし、お蜜柑様は俺たちを睥睨する。
「お蜜柑様、お蜜柑様!」
あかりがはしゃぐ。はしゃいで、神輿に駆け出した。
「あかり」
俺が立ち上がるよりずっと早い。あっという間にあかりは神輿の下へ潜り込んでしまった。俺は慌ててしゃがみこむ。先に櫓の骨が見える。あかりがいない。
「あかり」
もしや櫓の裏まで回ってしまったのだろうか。
「本日は皆々様お集まりいただきまして、ええ、お蜜柑様もお喜びでしょう、ええ」
人混みを抜ぬい、櫓の裏まで回り込む。俺の腰ほどしかない頭を探す。今日はぼんぼんのシュシュをつけて来た。出がけに妻が目印になるよと高い一つ結びにくくっていた。
「あかり」
屋台に気を取られたのかもしれなかった。わらわらとどこからか踊り子たちが戻ってくる。オレンジのライトを振り回すせいで視界がおぼつかない。いよいよ本部にでも行って、アナウンスしてもらったほうがいいかもしれない。小さな町のくせに、いつの間にこんな人が増えたのだろう。
「パパ」
「あかり」
その時俺の袖口をひく手があった。ぼんぼんのシュシュ、ワンピース。あかりだ。
頭はちょうどひと抱えほどの、プラスチックのみかん。
とっさにしゃがみ込んだ俺を睥睨している。内側からオレンジの照明で照らされている。
「あかり」
俺があかりの手を握ると、ちゃんと教えた通りに握り返してくれた。携帯の点滅が電話の着信を教えている。あかりのつるりとした頭の、おそらく耳だろうあたりに携帯を当ててやる。
「ママがそろそろ帰っておいでだって」
「そっか。満足した?もう勝手に走り出したらダメだぞ。怖いおじさんがいるからね」
「禿げの?」
「禿げの」
あかりは嬉しそうにゆらゆらと手を降りながら、歌を口ずさんで歩く。

あかりが一方的にまくし立てるあれこれに頷く。広場を抜けて、住宅街の小道を抜けていく。人通りが少なくなって来た。電柱と電柱を繋ぐように蜜柑型の提灯が吊るされている。今日お祭りに来られなかった家庭でも、窓辺にオレンジ色のランプを灯している。


妻があかりを風呂に入れてやり、俺はその間にのんびりコーヒーをすする。あかりがおそらく口だろう部分で俺の額にキスをする。俺もお返しに抱きしめてやる。妻がお代わりのインスタントコーヒーをいれてくれる。二人であかりのプラスチックでつるりとした寝顔を確認した。

「あかりがはしゃいでしまって」

「毎年楽しみにしてるもの」

ソファにくつろぎながら祭の出来事を妻に伝え、夜は更けて行く。