こざこざるつぼ

こざこざしたものを、るつぼに入れてくよ

バスタオル、ポテトサラダ、フォーク

今日のご飯はなんだっけと、さおりが不思議そうに言う。僕が壁に貼ってあるカレンダーを指差せば、彼女はつまらなさそうにそっぽを向いた。僕が大学の教授から譲ってもらった、製薬会社のモノクロカレンダー。4月3日を囲んだ雑な花丸がひどく場違いだ。

さおりは今日で32なる。盛大に誕生日を祝おうかとケーキを予約していたのに、昨日なんでもない顔で「ケーキなんか予約しないでね、嫌味だから」と釘を刺された。わかっているなんて僕も当然の顔をして頷いた。ケーキをキャンセルできるか電話してみたのだが、流石に店も閉まっており、深夜にリビングで携帯を見つめる僕を放置してさおりは寝てしまった。結局僕は予定通り、早朝から2100円出していちごのホールケーキを受けとる羽目になった。
彼女と僕のぶん、半月型に切り分けたホールケーキの半分を昼飯に食べた。

さおりの分は大学の後輩にあげた。彼は呆れた顔で紙袋を受け取り「たまには怒ってもいいんじゃないすかね、俺はありがたいですけど」とだけ言った。なかはタッパに適当に詰められたケーキだ。それなりに見栄えは悪かったはずなのだが、後輩は巨大パフェのようにして友人と食べたらしい。インスタグラムでキラキラしく加工されたそれはさおりのものだったんだけど、とか思いながらソファに寝そべって、いいねを送った。

今日はさおりが生まれた日だ。僕にはそれが今だに信じられない。さおりは初めからさおりという存在としてこの世にあったのではないだろうか。気ままになんとなく生まれてみようかな、それで人間になってみようかな、30くらいの女がいいな。そんな風に予兆なく街に現れたっておかしくないとすら思うのは、いくらなんでも、彼女を人間から外しすぎているだろうか。

さおりが帰ってくるまでにすることはたくさんある。洗濯ものを取り込んだり、ベットを整えたり、食器を洗ったり。さおりはバスタオルが少し崩れて棚に収まっているだけで夜中ぶすくれてしまう。だからといって彼女のご機嫌をとったことはないし、そんな日は僕も大概疲れていてすぐに寝てしまう。どうせ翌朝にはけろっとした顔でお互い食卓を囲んでいるのだ。そしてさおりは貯めていたドラマがいかに素晴らしく、それを観れなかった僕がいかに悲しい存在か、隈をこさえた笑顔で語る。何時間寝たの、と聞く。「睡眠は心を豊かにはしないので、時間をはからなくて良いのでーす。楽しいことはつい長くしてしまうから区切らなきゃいけないけど、睡眠は勝手に起きてしまうもの。まあ、そうね、たぶん5時間くらい観てたかな」とさおりはしたり顔で言う。
そして玄関口でキスをする。触れるだけに留めて、僕は彼女の隈を撫でる。さおりはくすぐったそうに笑う。ナチュラルハイを朝まで引きずったさおりを置いて、僕は大学へ向かう。

彼女はあんまり料理が得意でない。でも僕だって一般的な男子大学生の標本のような人間だ。「きっとたぶん修也君のような大学生諸君は、みんな料理ができないに違いない」というのがさおりの持論だった。僕に関してそれは正しい。体育サークルに入っているので芋を潰したりするのはできると言えば、さおりはケラケラ笑って、翌日じゃがいもを一箱持ってきた。「農家やってる実家から送られてきたの」と彼女は弁明したが、箱の側面には北海道産と記してあった。彼女は広島出身だ。

その時のジャガイモが、まだ4つ残っている。そろそろ目が出てきたので処分したい。僕はよくゴリラと評される上腕二頭筋を全力で駆使し、一瞬でホクホクのじゃがいもをミンチジャガイモにした。ついでに冷蔵庫の隅っこで忘れられていたきゅうりが一本だけあったので、適当に輪切りにして混ぜる。今日は彼女の誕生日だ。僕はフォークとナイフとスプーンをピカピカに磨いて、高級レストランのようにきっちり並べた。ナプキンはなかったので、さおりの席には洗ったばかりのレースのハンカチをそれらしく添えた。僕はとりあえず台拭きを添えてみた。

テーブルの真ん中に、ジャガイモときゅうりと塩コショウのみが適当に混ざったボウルをすえる。その横にマヨネーズとケチャップを行儀よく並べた。部屋の照明を絞り、パソコンから少しおしゃれなジャズを流してみる。ジャズ、おしゃれ、と検索してトップに出てきたやつだ。きっと世間ではこういうジャズがおしゃれなのだろう。

そろそろ彼女が帰ってくる。たぶんすごく怒るだろう。怒髪天をつく、を全身で表現してなんだこの音楽はとふてくされるに違いない。それからきっと「修也君みたいな大学生はこういう音楽が好きだったんだね」と寂しそうに言うだろう。だけどそこで、僕はマッシュポテトを差し出し、彼女にケチャップかマヨネーズか迫るのだ。スタンダードにポテトサラダにしてしまうか、ケチャップにするかなんて。さおりは笑うだろうか。笑って僕に32歳を祝わせてくれるだろうか。
僕は玄関に立ち、携帯片手にさおりからの連絡を待つ。出会い一番彼女にキスをするために。