11月21日 定規
できることとできないことがある。私にはできないことがよく見える。
歩いてもつまずくし、カバンの紐をよく引っ掛ける。
はたと誰かと向かい合って、反復横跳びを繰り返したり、ぶつかったりする。
息をすること、歩くこと。それもうまくはできない。
何と比べてというわけじゃない。
人から興味を持たれる程度か否か。
あるいは悪目立ちするか否か。
みみっちくて、夢中になれない私の持つ数少ない定規だ。
ゲームもうまくできない。モンスターハンターは二体目のモンスターであるクルペッコが倒せなくて開かなくなってしまった。アンダーテールはフラウィに乗っ取られたままだ。ゲームデータをセーブし忘れて何度もなくした。
萎縮する、怯える、次の選択肢で何が起こるのか怖い。
怖くて、怖くて、それ以上に面倒臭い。
頭を使わないようなご都合主義で背景描写のないネット小説をいつまでも追いかける。
先輩からスコヤという定規を借りたいのだけれど、誰に連絡したらいいかわからない。
もっと言えば、面倒臭い。
だけど私が面倒臭いと思うことほど、誰かからもらうと嬉しい。
誕生日におめでとうのラインが来ること、お菓子をもらうこと、送ってもらうこと、おしゃべりして帰ること、ご飯を作ること、お泊まりさせてもらうこと。
手間の面倒くささをよくわかるから。
雨の日は窓を開けているととても気持ちがいい。雨音を聞いて、そのうち出かけなければいけないが、雨が上がってからでいいだろうとネットを開く。
そのうち雨音が上滑りしていく。
とても静かになる。
雨の日はいきなりバイクの音がすることも、近くのテニス場でボールを打つ音も、帰り際の大学生の笑い声も聞こえない。
不連続的な音は騒音になり得るが、断続的なノイズは慣れによって消滅する。
そうして気づけば日が沈み、外は真っ暗だ。
課題は明日までなのに。面倒臭くて、コンビニ行って、印刷して、チョコパン買って、食べて、それでまた、雨が上がってしまったのに、未だ連続して雨が降っているように思う。それは逃げだろう。うまくいかないんではなくて、やってないことを受け入れちゃったダメな自分への甘えだ。