こざこざるつぼ

こざこざしたものを、るつぼに入れてくよ

3月11日 クッキー

バイト上がりの同居人がおもむろに甘酒を作ると言う。私はコタツで漫画を広げている。彼女は着替えないままに、お風呂も明日の朝にしてコメを炊き出した。

甘酒は12時間放置しなければならないらしく、完成は明日の昼ごろになるらしい。私は甘酒が飲めないので特に参加しようとも思わず、眠気を繁殖させている。

友人とサシでいつまでも会話するための元気や頭の回転を持ち合わせていないために、私はもう一人の同居人と甘酒を作っている同居人がお互いにミルク飲みつつ語り合うような夜を提供することはできない。あまり喋ること、特に喋り続けることが得意ではないのだと思う。相手を意識したくない。世界は自分中心で回っていてほしい。意味もなく起きているような夜は特に。

彼女は米が炊けるまでの間、クッキーを作るのだとレンジでバターを温め、生地をこねだした。私は、バイタリティが豊富だと言う。彼女はバイタリティは何か尋ねる。私は答えることができないので、元気なこととだけ伝える。彼女はそこから話を膨らませるが、私はもう、これを書いているいまでさえ、ほとんど思い出すことができない。音は意味のない言葉になって、新しい言語として空間に満ちるのみだ。彼女にとっては本来内容にこそ意味があるのだろう。私にとっては彼女と喋ったことにこそ意味がある。だからこそ、長く続ける必要性を感じない。生返事で漫画に戻って行く。

寂しさが募る。人といない寂しさ、私が必要とされない寂しさ。それは全て私が私を愛しすぎていることが原因な気がする。そんな風に思うことさえ。結論と結果を自分に求めすぎている。だけどそれが深夜の正しい姿。私は世界で私が一番大好きであり、それを信じ続けるためには私の価値を私が自覚するべきだ。だけど私は自分の定規を他者に委ねているために、他人の評価を絶対的に求め続ける。その際に、社会から必要とされること、つまり有象無象から一切の情無しに、あるいは理由を持って、なんらかの仕事を任されることは重要な意味を持つ。

そのくせ、それだけこんがらがって、なおそれが遂行できない。

すでにキャパシティを超えている。

だから私は明日のサークルをサボるつもりで夜中にぐずぐずの自己愛をこねくり回して同居人の言葉を聞き流しているし、彼女は甘酒を作り米が炊けるまでクッキーをこね、記事を休ませる間に仕事をこなしているのだ。