こざこざるつぼ

こざこざしたものを、るつぼに入れてくよ

3月19日 大好き

寂しいの塊はふとした瞬間に忍び込んでくる。
彼女の目のうちから、不意に覗くその黒すら、不意に寂しさを引き連れている。1秒にも満たないような漠然とした感覚。自意識過剰の権化になって、私は私を疑い始める。
あまり話したくなくなっていく。
誰かの愚痴をする人は私のことも誰かに愚痴っているのだろう。自分以外の愚痴は誰かにしかすることができない。
自分へのぐちは延々と地震に怨嗟として砂を飲み込むように吐き出し続けることができるのに。
それは失望からくる。
私は私を世界で一番愛している。
ありえないことも私ならばできるのではないかという無意味な期待感が伝播して脳内を汚染していく。例えばそれは学級閉鎖を望むなんでもない言葉だったり早起きに目覚ましを一つしかかけない傲慢さだったりする。
無数に広がる可能性全てに意識を割くことができないゆえに、私たちは大丈夫なラインを甘くしていくことで自身に関する判断のありかを曖昧にした。
赤十字も難民も基金も食料不足も大気汚染もクジラも絶滅危惧種も明日の献立も難民も内乱も宗教も不幸も事故も子供が泣いてることもいじめも趣味の否定も肯定も浅さも、何もかもを常に気にかけておくなんてできないのだ。
興味のあることしかわからない。
気にし続けることはできない。
流動するしか生きるすべはない。
だのに誰もが自分の正しいと思うことを数少ない中から選択していく。誰かに認められることで協力者を増やし規模を拡大しつつ楽しいことだと笑った。
それはすごいことだ。
すごくて力が必要で実践できることで、これ以上は私にとって言い訳にしかならないようなことなのだから。

私は誰よりも私を大事に思うし世界の中心として捉えて傷つく気が常にしているような小狡い人間だ。
それ以上に私ほど私を愛してくれる人などいないと思う。

すがられることは愛していることじゃないのだ。
だってそんなのずっと寂しいままなんだ。
寂しさの塊を私は他人の分まで飲み干し続けてあげられない。
世界で一番私は私が好きなのだから。