2月2日 寂しいのかたまり
引越し当初私は毎日寂しかった。自由にのびのびと寂しいを味わっていた。
家族と離れ離れになることでこんなにも身軽になった心が堰き止めていた寂しいをげろげろと毎日吐き出す。
無理を抱えてそれでも痛がっているような、こらえるような、飲み干して消化できないものを隠し持ち続けている人たち。痛々しいほどの寂しさと怠惰を抱え込んでいた風に私には見えた。
だけど同じだけ美しいものや怠惰な時間やつまらない現実を共有する、そんな家族。
姉が泣きながら次女の私にばかりバレエを習わせていることとか、とにかく自分より私をえこひいきしているのだと母に詰め寄る声を覚えている。具体的な言葉は残っていなくても一階で姉が泣いている声を息を潜めて階段で聞いていたときのことを。
私はそのときどう思っていただろう。ただ純粋に悲しんではいなかった。
確かに私はバレエを4年間続けていたし姉より成績がよかったし家事もたまに手伝っていたので母から褒められることは多かった、と、思う。
私がバレエを始めてから姉がフィギアスケートを始めたけど私より早く辞めてしまったことも、なんでか学校だとびっくりするほど厳しい態度をとってくる姉の姿も面映く残っている。
だけどいつしか姉は母と現実的なお金の問題や親戚間の問題を共有し、私と妹を守るようになった。それは秘密の共有という形で姉と母をつなげた。私は現実から遠ざけられ、働けそうにないと定められる。実際そのときの優越感に浸って劣等感を抱えて人と比べることにせわしなくも自覚していない私は社会でろくに生きていけないだろう。
社会人になった姉は私より社会を知っていること、そして彼女自身広い世界を得たこと、大学に進学できない辛さを飲み込んだこと、そうやって折り返し屈折しながら気づけば大人になっていた。
私はそんな姉と距離を掴むことがついぞできない。ああ、このまま私まで完璧に大人になってしまうのだろうと思う。そうして二人して大人になってしまえばきっと肩を組んでバシバシ背中を叩いて笑い合うほど距離を詰めることはできない。しようとも思わない。でもそれはのびのびと自由で、そして喉に使えたままの寂しさの塊を孕んでいるのだ。
お互いになんでもできるようになってしまえばきっと頼ることもない。無条件に大切に思いながら心を許しはしないのだから。
ひとりぼっちになって誰もかれもが奇異に映った。ぼんやりするだけで溶けていく無駄な時間を愛しながらベットに丸まって、ネットをしながら泣いていた。
私はこんなに自由になった。
同じ家の中に詰め込まれた鬱屈が噴出する瞬間におびえなくともよくなった。怠惰な私を隠さずとも自尊は保たれる。それがこんなにもかたまりになって胸が塞ぐ。
寂しいのではないのだ。
爪の先にまで通っているのはもっと自由で解放的で自立した自分という存在とその時々の発露する感情。
寂しいがかたまりになって、いつだって抱え込んだままなだけ。
げろげろを口いっぱいに味わいながら吐き出す必要があるだけ。
二つ年上の姉もたぶんそうやって大人になった。