こざこざるつぼ

こざこざしたものを、るつぼに入れてくよ

お人形、部屋、結婚

とても困ったことに、僕がここに居続けたのは君が居たからだったのだ。子供が2人住むにしては狭いワンルーム。正方形の部屋。正方形の壁。正方形の窓。赤いカーペット、水色のカーテン、白いテーブルクロス。椅子は2人分。ベットは大きなものが一つに枕が二つ。コップはスープ用とお水用が一つずつ。君と僕の分。

窓の外は僕らの部屋を何倍も大きくした世界だ。時々見える大きな手や、目ん玉や、肘なんかは僕のものととても良く似ている。たぶん巨人さんがいるのだろうと僕は思っているのだが、案外窓の画面はデジタルであって、嘘なのかもしれない。ただ僕らがお人形の家で暮らしているというのが一番しっくり来る。ちょうど正方形の、赤い屋根が蓋になっているような、チープなお家。
君は寝てたり、起きていたり、窓の向こうをぼんやり見ていたりする。僕は起きてから気が向いたら君に話しかけることにしていた。

君は小さな足をたたんで椅子にしゃがみこみ、両手でコップを抱えている。中には水がたっぷり入っている。僕も真似をして向かいの椅子に体育座りで座り込み、水が並々と揺れる様をぼんやり見ている君にいつも通り声をかける。
「おはよ」
「おはよ、ねえねえ、あんまりここに来ない方がいいよ」
「来るもなにも、僕はここから動いてないよ」
「嘘つき、どこにでも行っちゃう癖に」

君はいつもお面をしている。ごくシンプルなもので、つるんとした卵形の白い面には丸が五つ。
身が二つ、鼻の穴が二つ、口が横に大きくひとつ。そして穴を全然気にしない縦横無尽な黒マッキーで57と書いてある。金髪は君が動くたびにサラサラ揺れる。君は可愛い女の子なんだろうと思う。一般的に広く可愛いと言われるような、金髪で、蒼目で、華奢な外人の女の子。

僕が目を覚ますと毎日テーブルには1日分のご飯がおいてあった。巨大なレタスの葉っぱだとか、一抱えほどもある米粒だとか。粒といっていいのかはわからないのだけど。僕らは2人でそれらをちぎったりもいだりして食べている。水は水道から出る。

君からも水が出る。発作のように泣く。お面と顔の隙間を伝って水が流れ続け、横に大きく空いた穴から嗚咽が漏れ続ける。それは1時間で終わることもあるし、僕が眠るために寝転がって目をつぶっても聞こえ続けることがある。僕は君が泣いているのをずっと応援することにしている。その姿は窓の外の巨人たちが見せる極一般的な日常風景によく似ていた。泣いたり、怒ったり、声の調子を変えたり、歌ったり。君は泣く以外あんまり喋りたがらないし動かないから、僕はそれが君と僕の共通点であると信じ、泣き叫ぶその姿に安心し、干からびない程度には君が泣けるように応援する。巨人と僕の外見がよく似ているように、君と僕の気持ちがよく似ていること。それだけで僕は寂しくないのだ。だって君はいつまでたってもお面を外してくれないのだから。

「私はあなたの57番目だったけど」
君は珍しく僕に話しかける。僕はそれに驚く。君が人に話しかけると言う行為そのものが、普段の僕が君に話しかける行為とリンクする。僕は君に似せるために、彼女の仕草を小手先ながら真似る。
「彼女はあなたの最後なんでしょう。だからあなたはたぶん、もうここにいなくていいんだよ」
「ここにいたらダメ?」
「たぶん」
君は窓の外をいつもの通りに眺めている。女の巨人は笑って子供を送り出すと一転して疲れたように椅子に座り込んでいる。彼女もどこかをぼんやり見つめている。いつも窓の外に巨人は3人。大人の女の人に、子どもが2人。
「私はあなたにいつまでだってここにいて欲しかったのに、すっかり忘れられちゃったもん。だけどあなただって、寂しいこととかあるかもしれないけれど、いつまでだってお人形さんの家にいちゃダメなんだよ」
「じゃ君もここにいちゃダメだよ」
君は小首を傾げた。僕はそれを真似した。
「私は戻ってきてくれると思っていなかったから、ちゃんと準備できなかっただけなんだよ。あなただってもう戻ってこないはずだったでしょう。お母さんがいて、お父さんがいて、妹がいて、あなただけがヒーローだった小さなお家には。そこを出て大きな等身大の家を持つことができたのに」
かわいそうにと君は窓の外を眺めたまま言う。
「あんまり待たせているとそのうち彼女だって、あなたみたいになってしまうのだから」
「子どものように?」
「いいえ、眠るように」
「僕が君のことずっと思い続けることはそんなにダメかなあ」
「自己投影のお人形さんはいつだって待つことができるけれど、彼女はあなたの投影ではないのだから、思わぬおままごとだって起きてしまうものよ」
君はお水を机に置いて、お面に手をかけた。僕はそっくり真似をした。
「一個一個数えて、繰り返して、追いかけて、おままごとをするのはあなたにとってとても優しいことよ。あなたの認識に対応できるものしか数えることはできず、繰り返すことはできないもの」
子どもに見えた君の肌がお面のようにつるりと硬質になり、金髪は安っぽくなり、手足は直線に近づく。僕はこの光景をもう随分昔に見ていた。僕のヒロインだと信じ込んでいた彼女が、いつしか冷たくなり、固くなり、生々しさが消え、想像力だけでは補えないほどお人形さんになってしまう。それはある日不意に訪れた。いつも通り、ドールハウスでお茶をする君が怪物にさらわれるシーンだ。僕が開いた屋根から彼女を連れ出した途端、彼女は不意に現実味を帯びた。急速に僕の現実が形取られる。そして彼女は瞬く間に無機質な工業製品になっていった。

「自己投影のために必要なのは何一つ意味のないお人形さんだったけど、それだけじゃ生きてはいけないの。寂しくて」
天井と壁の隙間に巨人の指が差し込まれ、ゆっくり持ち上げられるのを背景に、君はお面に手をかけたまま喋り続ける。開いた隙間から横一筋に光がこぼれてくる。蛍光灯だ。
僕にはもう君の声が聞こえなくなっていく。それよりも素早く屋根が開かれてしまう。
君はお面に手をかけたまま、無機質に、ゆっくりと人形に戻っていった。