こざこざるつぼ

こざこざしたものを、るつぼに入れてくよ

筋肉

心の中に筋肉飼ってない

スポーツやってるやつにネガティブなやついない

つまり筋肉

鍛え上げた筋肉は積み上げた努力の結晶だから見せたいんだ

つまり筋肉

筋トレしたらネガティブな心は消え去る

筋肉イズパワー

うちらは筋肉を得ることで最強になれる

パワーイズ力

筋肉でありパワーはパワーであり力であるから筋肉はパワー

自己肯定感を高めるグッズイズ筋肉

己の努力だけを反映したもの、それが筋肉

自分を高めた証でありそれを他社に示すことができる

筋肉つけてオラッてやりたい

 

右の鼻水

 

1:11です

ビンゴじゃん

1円

おめでとうございます、プレゼントです

えら?

右の鼻水開通したのでエラいらないです

今快調なんです

いずれ来たる不快感に向けて

秋に必要

でもつくばそんなにブタクサない気がする

医者を信じろよ

 

家の近くに豚小屋か牛小屋ありますか?

豚小屋が

じゃあブタクサです

 

日記

右の穴が詰まってる、ああ眠い、プリッツがあんだよ、いらないの?、いるよねえ、

私できればカワウソが欲しい

好きなの選んで良いよ

やったーこの一戦隠しているのも欲しいこの古代魚っぽいの

エイだな

エイじゃねーよ足6本生えてるよ

エイだな

 

どうせならいるか味に

残虐なことを

イルカのビーフジャーキーに

待ってビーフって何

 

右の鼻詰まってきた

ティッシュいる?

いらないねえそうだねえ

 

カンガルーの肉食べたことある、オーストラリアに売ってる

ジャーキーって何?

干し肉?

カンガルージャーキー?ワニジャーキー?

語呂が悪いな

カンガルージャーキーはカンガルージャーキーじゃない?

 

酔っ払うとこうかな?

ドップラー効果

 

酔っ払うと鼻が詰まる

なんで右の鼻はこんな役ただず

 

鬼もネットに犯されたらこの世終わるじゃん

豆まきも電子化される

豆まきしようぜ

落花生がいい

全部口に受け止めてくれるなら良い

10個に9個は外れて落ちる

一個入ったらいいよ

自分全肯定された気分になった

10%できたら肯定

 

小包装になってる飴ちゃんみたいな

家族全員で床にそっと置いて行く豆まきしてた

豆備えやな

全力豆まきしようか

5Cで

豆まき新刊

上級生が下級生に豆投げる

新入生追い払ってどうする

追い込んで豆まきが正しいな

テーマは鬼です、みんなで鬼ヶ島行きましょう

俺らが桃太郎の格好して行く

うおおって投げる

感謝の気持ちがねえな

 

熊本のWIiつけた

遠隔操作

今戸惑いが芹川家に走る

心霊現象として扱われるこの事件はのちに何が!!??

惨劇として扱われる、かもしれない。

知らんけどな!!!

知らんけどなって後につけるとどんな無責任な発言も許されるからな

群馬県民は使わない

こっちにきて覚えた

私も使おう、知らんけど

私も、知らんけど

ええぞ

知らんけど

 

本場のなんでやねん受けたい

さっきなんつった?

ええぞしか覚えてない

 

人の体温は感じられないのに。その温度を私が私で知っているのだから、暖かい気がしてしまうんだろうか。錯覚に近い何かは冬の厚着を挟んでより不鮮明な温度になる。思い描いたものにそう形が手のひらに収まったような、理想道理の安心感を形容する言葉を探し当てることができない。

寂しさは好きだから訪れる。好きなものが増えるほど寂しくなってしまう。どこそこのブランドも話も質の良いワイシャツも洋楽もジャズもわからないんだ。

アクティブな経験もしていない。自分で活動を立ち上げたり回していることもなく、何がしかの技能を身につけることもなく、消費するだけの醜くて気持ちの悪い人。

その居心地がない、語るべき言葉を拾ってこなかった私の手のひらと彼の手のひらはどちらも部不相応なやる気と劣等感でかいた冷や汗に湿っている。

それくらいの温度だから気持ち悪さが拭えないのかもしれない。

でもきっと彼ほど私にすがる人は二度と現れないのではなかろうか。これも一つの恋だろうか。

手のひらは繋げてもなでた頭の感触すら好きになれないのに。いつまでも恋のような顔をして指を絡めている。

3月19日 大好き

寂しいの塊はふとした瞬間に忍び込んでくる。
彼女の目のうちから、不意に覗くその黒すら、不意に寂しさを引き連れている。1秒にも満たないような漠然とした感覚。自意識過剰の権化になって、私は私を疑い始める。
あまり話したくなくなっていく。
誰かの愚痴をする人は私のことも誰かに愚痴っているのだろう。自分以外の愚痴は誰かにしかすることができない。
自分へのぐちは延々と地震に怨嗟として砂を飲み込むように吐き出し続けることができるのに。
それは失望からくる。
私は私を世界で一番愛している。
ありえないことも私ならばできるのではないかという無意味な期待感が伝播して脳内を汚染していく。例えばそれは学級閉鎖を望むなんでもない言葉だったり早起きに目覚ましを一つしかかけない傲慢さだったりする。
無数に広がる可能性全てに意識を割くことができないゆえに、私たちは大丈夫なラインを甘くしていくことで自身に関する判断のありかを曖昧にした。
赤十字も難民も基金も食料不足も大気汚染もクジラも絶滅危惧種も明日の献立も難民も内乱も宗教も不幸も事故も子供が泣いてることもいじめも趣味の否定も肯定も浅さも、何もかもを常に気にかけておくなんてできないのだ。
興味のあることしかわからない。
気にし続けることはできない。
流動するしか生きるすべはない。
だのに誰もが自分の正しいと思うことを数少ない中から選択していく。誰かに認められることで協力者を増やし規模を拡大しつつ楽しいことだと笑った。
それはすごいことだ。
すごくて力が必要で実践できることで、これ以上は私にとって言い訳にしかならないようなことなのだから。

私は誰よりも私を大事に思うし世界の中心として捉えて傷つく気が常にしているような小狡い人間だ。
それ以上に私ほど私を愛してくれる人などいないと思う。

すがられることは愛していることじゃないのだ。
だってそんなのずっと寂しいままなんだ。
寂しさの塊を私は他人の分まで飲み干し続けてあげられない。
世界で一番私は私が好きなのだから。

3月11日 クッキー

バイト上がりの同居人がおもむろに甘酒を作ると言う。私はコタツで漫画を広げている。彼女は着替えないままに、お風呂も明日の朝にしてコメを炊き出した。

甘酒は12時間放置しなければならないらしく、完成は明日の昼ごろになるらしい。私は甘酒が飲めないので特に参加しようとも思わず、眠気を繁殖させている。

友人とサシでいつまでも会話するための元気や頭の回転を持ち合わせていないために、私はもう一人の同居人と甘酒を作っている同居人がお互いにミルク飲みつつ語り合うような夜を提供することはできない。あまり喋ること、特に喋り続けることが得意ではないのだと思う。相手を意識したくない。世界は自分中心で回っていてほしい。意味もなく起きているような夜は特に。

彼女は米が炊けるまでの間、クッキーを作るのだとレンジでバターを温め、生地をこねだした。私は、バイタリティが豊富だと言う。彼女はバイタリティは何か尋ねる。私は答えることができないので、元気なこととだけ伝える。彼女はそこから話を膨らませるが、私はもう、これを書いているいまでさえ、ほとんど思い出すことができない。音は意味のない言葉になって、新しい言語として空間に満ちるのみだ。彼女にとっては本来内容にこそ意味があるのだろう。私にとっては彼女と喋ったことにこそ意味がある。だからこそ、長く続ける必要性を感じない。生返事で漫画に戻って行く。

寂しさが募る。人といない寂しさ、私が必要とされない寂しさ。それは全て私が私を愛しすぎていることが原因な気がする。そんな風に思うことさえ。結論と結果を自分に求めすぎている。だけどそれが深夜の正しい姿。私は世界で私が一番大好きであり、それを信じ続けるためには私の価値を私が自覚するべきだ。だけど私は自分の定規を他者に委ねているために、他人の評価を絶対的に求め続ける。その際に、社会から必要とされること、つまり有象無象から一切の情無しに、あるいは理由を持って、なんらかの仕事を任されることは重要な意味を持つ。

そのくせ、それだけこんがらがって、なおそれが遂行できない。

すでにキャパシティを超えている。

だから私は明日のサークルをサボるつもりで夜中にぐずぐずの自己愛をこねくり回して同居人の言葉を聞き流しているし、彼女は甘酒を作り米が炊けるまでクッキーをこね、記事を休ませる間に仕事をこなしているのだ。

 

3月10日ずっと一緒

誰かがずっと一緒にいようとしてくれることにものすごい不快感を覚えていた。

それが恐怖ですらあった。

寂しさが、私の中の唯一にして絶対の領域であるように。

それは可能性だ。一人の人に時間を使い続けることはないという。その分浮いた時間は無限に新しい人と繋がるための時間になっていく。そんな風に思う。

 

だけど、なんとなく漠然と、もういいかなと思った。

私はこの人に私の安心感を預けていいのだ。自然な状態、自然な口調、自然な態度。人に会うたびにその人に対して発露する自然は得難いものだ。

だけど一つ私を据える要素。めちゃめちゃに甘えるし甘やかすようなグダグダな関係でもいいんだろうな。お互いに。もっと奉仕されることを受け入れればよかったんだ。そして私も、したいようにすればよかったのだ。肩の力を抜いて安心すればいいのだ。

たぶん私の恋は終わってしまって、確かに半年前のものは失恋だったんだ。

 

これから恋をしない覚悟。絶対安全領域を他人にすえる覚悟。

覚悟とも呼べないようなものが、しっくり、すんなり、ジワリ、溶けて、馴染んでしまった。

 

2月2日 寂しいのかたまり

引越し当初私は毎日寂しかった。自由にのびのびと寂しいを味わっていた。

家族と離れ離れになることでこんなにも身軽になった心が堰き止めていた寂しいをげろげろと毎日吐き出す。

 

無理を抱えてそれでも痛がっているような、こらえるような、飲み干して消化できないものを隠し持ち続けている人たち。痛々しいほどの寂しさと怠惰を抱え込んでいた風に私には見えた。

だけど同じだけ美しいものや怠惰な時間やつまらない現実を共有する、そんな家族。

 

 

姉が泣きながら次女の私にばかりバレエを習わせていることとか、とにかく自分より私をえこひいきしているのだと母に詰め寄る声を覚えている。具体的な言葉は残っていなくても一階で姉が泣いている声を息を潜めて階段で聞いていたときのことを。

私はそのときどう思っていただろう。ただ純粋に悲しんではいなかった。

確かに私はバレエを4年間続けていたし姉より成績がよかったし家事もたまに手伝っていたので母から褒められることは多かった、と、思う。

私がバレエを始めてから姉がフィギアスケートを始めたけど私より早く辞めてしまったことも、なんでか学校だとびっくりするほど厳しい態度をとってくる姉の姿も面映く残っている。

 

だけどいつしか姉は母と現実的なお金の問題や親戚間の問題を共有し、私と妹を守るようになった。それは秘密の共有という形で姉と母をつなげた。私は現実から遠ざけられ、働けそうにないと定められる。実際そのときの優越感に浸って劣等感を抱えて人と比べることにせわしなくも自覚していない私は社会でろくに生きていけないだろう。

 

社会人になった姉は私より社会を知っていること、そして彼女自身広い世界を得たこと、大学に進学できない辛さを飲み込んだこと、そうやって折り返し屈折しながら気づけば大人になっていた。

私はそんな姉と距離を掴むことがついぞできない。ああ、このまま私まで完璧に大人になってしまうのだろうと思う。そうして二人して大人になってしまえばきっと肩を組んでバシバシ背中を叩いて笑い合うほど距離を詰めることはできない。しようとも思わない。でもそれはのびのびと自由で、そして喉に使えたままの寂しさの塊を孕んでいるのだ。

お互いになんでもできるようになってしまえばきっと頼ることもない。無条件に大切に思いながら心を許しはしないのだから。

 

ひとりぼっちになって誰もかれもが奇異に映った。ぼんやりするだけで溶けていく無駄な時間を愛しながらベットに丸まって、ネットをしながら泣いていた。

私はこんなに自由になった。

同じ家の中に詰め込まれた鬱屈が噴出する瞬間におびえなくともよくなった。怠惰な私を隠さずとも自尊は保たれる。それがこんなにもかたまりになって胸が塞ぐ。

寂しいのではないのだ。

爪の先にまで通っているのはもっと自由で解放的で自立した自分という存在とその時々の発露する感情。

 

寂しいがかたまりになって、いつだって抱え込んだままなだけ。

げろげろを口いっぱいに味わいながら吐き出す必要があるだけ。

二つ年上の姉もたぶんそうやって大人になった。